有田焼の窯元として忘れてはいけないのが今右衛門窯です。

今右衛門窯 壺今右衛門窯 青い壺今右衛門窯 皿今右衛門窯 ティーカップ

今右衛門窯の今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)家は、日本で初めて赤絵付けの技法を取り入れたといわれる酒井田柿右衛門、絵付けの柄をインテリアやアクセサリーまでに発展、展開させた源右衛門とともに、「有田の三右衛門」と呼ばれ、有田焼の歴史において欠かすことのできない家系であるといえます。

今右衛門窯の歴史今右衛門窯 看板

今泉今右衛門は江戸時代に鍋島藩の御用赤絵師を務めていた家系であり、色鍋島の伝統を今に伝えています。

御用窯といえば、鍋島窯といわれるほど、鍋島藩が鍋島様式の磁器を献上品として特別な扱いを行っていたのは有名な話でありますが、その製造工程は分業体制で行われており、各工程ごとに専門の職人が行っていたといわれています。

この中で、今右衛門家は、上絵の絵付けを担当していました。上絵の絵付けは、赤を主体とした色絵を釉薬の上に書き付けて、専用の赤絵窯で仕上げの焼きつけて行うものです。鍋島藩には、11軒(のちに16軒)の指定の赤絵師がいて、赤絵町の一所に集め保護していました。今も赤絵町に今右衛門家の建物があります。

廃藩置県によって御用窯の歴史は閉じてしまったのですが、鍋島焼の技法と伝統は、今右衛門窯によって、復興・継承されています。

今右衛門窯 雪の壺赤絵の調合・技術については一子相伝の秘法として、家系のなかで一人の子供にしか継承されないのですが、現在では十四代まで伝え、続いています。

今右衛門窯のその卓越した技術は、国の重要無形文化財保持団体の認定を受けています。

鍋島焼の復興・継承は、10代今右衛門によって行われました。廃藩置県語2年で亡くなった先代の死後、26歳で家督を継いだ10代今右衛門が従来分業で行われていた成形、下絵付け、本焼きから上絵付けまでの工程を、自ら登り窯を築いて自家工房での一貫生産体制を確立したことから始まります。

その後歴代の当主によって今右衛門窯は発展してきました。

11代今右衛門は皇室御用品などを製作し、鍋島焼の主力であった皿類だけでなく、生活に対応したさまざまな種類の器の製品を手がけていきました。

12代目では現代的デザインを取り入れた作品を作りました。12代今右衛門の時代に設立された色鍋島技術保存会は国の重要無形文化財「色鍋島」の保持者として認定を受けました。

今右衛門窯 花瓶12代目の死後、重要無形文化財「色鍋島」の指定は1975年にいったん解除されましたが、1976年、13代今右衛門を代表者とする色鍋島今右衛門技術保存会を保持団体として再指定されました。

13代今右衛門は個人としても人間国宝に認定されており、酸化ウランを呈色剤とする「薄墨」という技法を開発しました。

13代目今右衛門の没後、2002年には14代に襲名した今右衛門も、伝統を継承しつつ、近世以来の「墨はじき」の技法を深化させています。