OLYMPUS DIGITAL CAMERA色鍋島は、江戸期の磁器で最も精巧と言われていました。その精巧華麗な作品は今も今右衛門窯に引き継がれ存在しています。

◆復活した色鍋島

江戸時代では有田の今右衛門家が代々肥前鍋島藩の御用赤絵師として仕事を任せられていました。色鍋島で使用されていた色は、上絵の黄、赤、緑、下絵付けの青で、その中の赤の上絵付けが今右衛門家の担当でした。

時代は明治にはいり明治維新による御用窯廃止となりました。

しかし、当時の今右衛門十代目は鍋島藩窯を民間移管させ、鍋島焼再興に力を尽くしました。その後の十一代目、十二代目の苦労の積み重ねの上、江戸時代の技術復興に成功しました。

◆お殿様の為に生まれた色鍋島OLYMPUS DIGITAL CAMERA

有田焼は、豊臣秀吉政権の時代、朝鮮半島へ出兵した兵士が連れて帰ってきた陶工が有田で磁器の原料となる石を発見し制作したことが始まりです。その後、有田で磁器が作られ、伊万里を積出港として国外に出していたものを伊万里焼と言い、その中で江戸時代に制作されたものを古伊万里と言います。

一般に焼き物が流通する中、鍋島藩のお殿様が幕府への献上物とお城の中で使用するのを目的として作られた焼き物が色鍋島です。

色鍋島は主に料理を楽しむための器でした。したがって薄暗い大きな座敷で一際美しく見えるように制作される必要があったので、精巧な技術が必要とされました。

◆色鍋島・鍋島焼の決まり事OLYMPUS DIGITAL CAMERA

色鍋島、鍋島焼は献上物としても使用されていたので、藩の権威がかかっていました。      すべてに一流を求め、質を落とさないため作業を分担し、形状や図柄に多くの決まり事がありました。その例が、江戸の絵師に図柄を描かせ大川内山の職人に渡し学ばせるなど作品を多くつくることよりも技師のレベルを維持させることに重きを置いていました。

鍋島焼には鍋島染付、色鍋島、鍋島青磁があります。その中で色鍋島の決まりごとは、

赤絵や呉須で輪郭を描き、その内側を黄、赤、緑の三色のみを使用することでした。

上絵を三色しか使用似ていないのにも関わらず、多くの色を使用している様に見える色彩もまた一流の焼き物と言われる由縁なのでしょう。