有田焼を世界に広めた柿右衛門窯

柿右衛門窯の初代酒田柿右衛門といえば日本で初めて上絵付けに成功した人物であり乳白色の地肌に赤を基調とした上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立したことでも有名です。

柿右衛門 食器柿右衛門様式の磁器はヨーロッパなどにも輸出されヨーロッパのマイセン窯でも模倣品を作られ、磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与えたと言われています。

濁手を特徴とした柿右衛門窯の時期は現在も根強いファンが多く、柿右衛門窯の酒井田柿右衛門家は、鍋島焼を伝承している今泉今右衛門家とともに、21世紀までその家系と家業を伝えています。

柿右衛門窯の歴史

柿の木柿右衛門窯は、質の良い陶土を求め、現在の佐賀県西松浦郡有田町に移住した酒井田円西と、息子である喜三右衛門によって始まりました。当時は、陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたのですが、17世紀前半に息子である喜三右衛門が赤絵磁器の焼成に成功したことから、柿右衛門を名乗り始めたと言われています。

その後、柔らかくて温かみのある乳白色の素地に赤を焼き付けるという柿右衛門様式を確立させました。

余白を十分に残し、明るく繊細で絵画のような構図を特徴とした色絵磁器は、オランダ東インド会社(VOC)の手により、ヨーロッパの国々に大量に運ばれて行き、柿右衛門様式の磁器は、磁器を輸出し始めた初期の花形として海外で高く評価されたと言われています。時のヨーロッパの王侯貴族たちは初めて目にするその華麗な色絵磁器に魅了され、自分たちの宮殿や邸宅を飾るため財を傾けてまでも競って手に入れたそうです。

その後、高い技術を要する濁手の作品は一旦中絶してしまうものの十二代柿右衛門とその息子である十三代柿右衛門が、家に伝わる江戸時代の古文書を基に長い、長い苦労の後にようやくこれを復元しました。1971年にはその製陶技術は、国の重要無形文化財の総合指定を受け、再び高く評価されるようになります。

柿右衛門資料館柿右衛門 とっくり

現在、十五代目を迎える十五代柿右衛門もその技術を受け継ぎ、新しいデザインと、濁手の地肌を武器に新しい世界を切り開いていっています。