中国の浙江(せっこう)省にあった窯で、宋代から明代にかけて膨大な量の青磁がこの窯で生産されていました。

製品である青磁は東南アジア,イラン,イラク,エジプトなど広い地域に多量に輸出されていました。

竜泉窯の青磁はおもに2種に大別され、白い胎土と朱色の砂の胎土を使った青磁は、「弟窯」または「竜泉窯」と呼ばれます。もう一方は、貫入と黒い胎土が特徴であり、、「哥窯(かよう、哥は兄の意味です。)」と呼ばれています。

 

2つの青磁の成り立ちは、南宋時代、浙江省竜泉県にいた、章生一と章生二という兄弟によって生み出されたという伝説があります。

兄弟は代々製陶の家系で育ち、二人も父親の遺言によって、それぞれ窯を設け、それぞれに作品作りに励んでいました。弟である、章生二はまず陶器の色から手を始め、あらゆる色を

観察した結果、最も優雅で高貴な色は青であると考え、青い磁器を製作しました。この青磁が南宋皇帝、高宗に気に入られ、章生二の窯は官窯とされ、「弟窯」または「竜泉窯」が誕生しました。

 

兄である、章生一も負けじと努力しましたが、彼は陶磁器の色でなく、陶磁器の製作技法にこだわり、「窯変」を、人工的な方法で作り出そうと試行錯誤を繰り返しました。ある年の12月、生一の妻が夫に食事を届けにいったとき、夫である生一が窯の中に水を入れているのを見て、彼を助けるために、泉の水をかけて加勢し火を消してしまいました。鎮火後の窯を見ると、なんと、すべての器に魚のうろこ状の亀裂が入り、「窯変」の陶器が生まれていたのです。こうして章生一が作り出した窯変青磁はあっという間に世間を騒がせ、皇帝への献上品となりました。章生一が兄であったことから、この窯変の青磁は「哥窯」と呼ばれるようになったそうです。

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