現在の長崎市現川町で江戸時代に焼かれていた陶器で、元禄4年(1691年)矢上村(現在の長崎市現川町)で田中宗悦によって開窯されました。

開窯後、約50年で、寛保年間(1741-1744)に廃窯になりました。現川焼では、開窯の際に皿・茶碗・鉢などに限るという条件が佐賀藩から付けられ、伝世している製品のほとんどが上記に限られています。

特徴としては、鉄分の多い茶褐色の器肌で、唐津風と京風が混じった作風で蓮華刷毛、縮緬刷毛、小波刷毛、蛍手、流描き、地図描きなどの技法を用いた独特な美しい刷毛目模様があります。

江戸時代には「西の仁清」とまで謳われたことがあったのですが、藩の財政事情を理由に製造は約50年しか行われず、現川焼は姿を消してしまいました。ですが明治時代になり十二代目・横石臥牛が復活させ、現在は佐世保市の横石臥牛窯で復興されています。

「矢上焼」と呼ばれることもあります。

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