石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器です。

大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのをきっかけに、藩士の後藤才次郎が有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として、始められました。約50年後(18世紀初頭頃)突然廃窯となりました。

これを古九谷窯といいます。

古九谷の廃窯から、150年後の1806年、加賀藩11代藩主・斉広の時に古九谷窯に代わり九谷焼を再興しようという目的で、京都青蓮院の御抱窯として名高い陶工・青木木米を招き再建されました。翌年、卯辰山に春日山木米窯を築窯したのを皮切りに青木木米が金沢を去った後も加賀藩士による民山窯が次々と開窯し、赤絵九谷の元祖となりました。

同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で、新たな陶石が発見され今日まで主要な採石場となっています。

九谷焼の特徴は、「呉須(ごす)」とよばれる藍青色で線描きし、「五彩」とよばれる、赤・黄・緑・紫・紺青の5色での絵の具を厚く盛り上げて塗る彩法です。絵柄は山水、花鳥、など絵画的で大胆な上絵付けがなされており、力強い印象を与えます。

これらの窯の製品を「再興九谷」といい、それぞれの窯ごとに作風に特徴があります。

特に吉田屋窯の、決して赤を使わない「青九谷」や、宮本屋窯の赤絵金彩の「赤九谷」などが有名です。 また、明治にかけて出てきた九谷庄三の金襴手という技法が主流になり、「ジャパンクタニ」として、世界的にも有名になっています。

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