景徳鎮(けいとくちん)は国・江西省北東部にある中国最大の窯業都市のことであり、古くから陶磁器の産地として、中国の「磁都」とも呼ばれていました。また、現在の江西省を流れている昌江の南にあることから、昌南鎮とも呼ばれていました。北宋の景徳年間(1004〜1007年)、当時の皇帝・真宗は白磁の透き通るような美しさに魅せられ、磁器の底に「景徳年製」と書き入れ、昌南鎮を「景徳鎮」と改名しました。 景徳鎮の磁器生産の歴史はとても長く、紀元1世紀まで遡ります。後漢時代から陶磁器の生産を始め、南北朝の陳朝時代に大いに盛んになったといわれています。

宋代は景徳鎮における陶磁器の生産が最も輝いた時期でした。当時の青磁器と白磁器は芸術性や歴史的価値が優れ、景徳鎮は有名な磁器産地として歴史に名を刻みました。

また、この時期には歴史に名を残す新たな青白磁器の製造技法が開発され、後世に大きな影響を与えたといわれています。

元の時代になると、磁器製造技術は更に高まり、14世紀前半に青花という磁器が景徳鎮窯で誕生しました。青花磁器は白磁の釉下(ゆうか)にコバルトで絵付けをし、透明釉をかけて高温で焼成した彩画磁器で、その歴史的な価値は非常に高いです。2005年、「鬼谷下山」という青花磁器がイギリスのオークションで2億3千万人民元(約30億円)で落札されました。元代の青花には大作が多く、緻密な作品たちはイスラム圏に多く輸出されました。その他にも、この時期にはコバルトを全面にかけた瑠璃釉磁や、銅紅釉を全面にかけた紅釉磁なども作られました。

景徳鎮には官窯と民窯の両方が存在し、元、明、清の三時代を通して宮廷ご用達の窯、(官窯)にて、皇帝や皇宮専用の磁器も数多く作られました。一般市場向けには民窯で作られた磁器が中国国内だけでなく世界各国へも輸出されました。需要が増して、生産が追いつかなくなると、官民合同の方式が実行されるようになり、これにより優秀な磁器原材料と工芸技術が民窯にも流れ、ますます大きく発展しました。明の時代や、清の時代には中国の製陶業の繁栄をもたらし、景徳鎮が中国陶磁器の世界における地位を確立したといっても過言ではありません。

 

景徳鎮は、中国読みではJing de Zhen(チントーチェン)と読みます。

 

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