“長年にわたって、食器など生活の必需品として使用されてきた陶器・磁器の種類には、さまざまなものがあります。

有田焼 陶器

陶器と磁器の違い

陶器は粘土を原料とした焼きもので、釉薬を用いて水漏れを防いでいます。それに対して磁器は長石、石英などが含まれた陶石が原料のため、それ自体がガラス質の性質を持っているため硬く焼き上がり、透光性があって薄く、軽くはじくと金属音がします。

代表的な陶磁器

日本の陶磁器全般のことを称して「瀬戸物」といいます。これは愛知県の瀬戸で本格的な陶器作りが始まったことに由来します。9世紀ごろから陶器を生産しており、13世紀に陶祖と呼ばれる陶工、加藤景正が南宋の製陶技法を伝えたとされています。
その後、瀬戸を含む6か所で作陶が盛んになり、瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前が日本六古窯といわれるようになりました。15世紀にはそれぞれの窯で特色のある製品が作られています。しかし、瀬戸焼は陶器作りから次第に磁器生産に移っていき、人気を高めるとともに様々な製品づくりを行い、大量生産していくうちに独自の特徴を失いつつあるようです。

その他の日本六古窯7b281c9bc4d13a6d7ae717a842401a48_s

常滑焼は真焼物と呼ばれる、薪の灰が器に溶け流れて釉薬の役割を果たす自然釉や、草木の灰を利用した灰釉を用いた自然釉で焼きしめた力強い形状の壺や甕、赤物と呼ばれる陶土にベニガラという酸化鉄を混ぜて焼きしめた赤い陶器があります。
越前焼は常滑焼の陶工が伝えたといわれています。自然釉や、土の中のガラス質を高温で焼きしめます。ざらりとした質感が特徴で、近年きめ細かいビールの泡を作りだすプレミアムビアマグが知られるようになりました。
信楽焼は、もともと壺、甕、土鍋などが主に作られていました。有名なタヌキの置物は明治時代に作られたのが最初といわれています。信楽の土は焼成すると長石や石英が表面に吹きだして白いツブツブになります。これが独特の風合いになるので、器だけでなく、置物や植木鉢、タイルなど様々な用途に使われてきたのです。
丹波焼も薪として使われる松の灰が自然の釉薬となっています。甕やすり鉢で知られていましたが、茶の湯の隆盛に従い、茶器としても重用されるようになりました。一品ずつ異なる自然釉のかかり具合を風景に見立て、風流に感じるのです。
最後に備前焼は、使用される土の耐火度が低いため、じっくり時間をかけて焼成することから、素朴な味わい深さがあります。器同士がくっついて赤く染まる牡丹餅や、器の間に挟んだ藁によってできる緋襷など、偶然に生まれる要素が魅力です。

茶の湯によって発達した陶器茶道

室町時代後期から戦国時代にかけて、武士のたしなみとして流行したのが茶の湯です。そこに欠かせないのが茶道具であり、特に茶碗は主役として、名品を求める武士や商人の注目の的となりました。
その中で特に知られることとなったのが美濃焼です。釉薬で様々な絵付けがなされ、釉薬の変化によってできる黄瀬戸や黒瀬戸、志野焼が生まれました。釉薬の色合いだけでなくデザインも追及され、幾何学的な形状の品も登場しました。武将で茶人である古田織部が指導して作られた織部焼は、奇抜な発想の茶器を作っていきました。ろくろでなく型を使った型打ち成型で作られ、さらにわざとくぼみやへこみ、ゆがみを加えるという方法も用いられました。釉薬によってさまざまな色の製品が作られたのです。
やがて茶の湯の衰退や磁器の普及に合わせて美濃焼も変化していき、磁器生産が主流になっていきます。今では洋食器も多く扱っています。マグカップやティーカップ、ビアジョッキなどだけでなく、工業用タイルなども生産しています。

磁器の登場

磁器は2世紀ごろには中国の景徳鎮を中心にすでに作られていました。豊臣秀吉の朝鮮出兵によって連れてこられた陶工たちによって、17世紀初めに有田で日本製磁器の生産が始まって、陶磁器の世界は大きく様変わりしました。硬くて吸水性がなく、繊細な絵付けの磁器は瞬く間に普及しました。有田地方を擁する鍋島藩は磁器の製法を長く隠していましたが、他の地方の陶工が潜入するなどして製法を学び、全国に広まっていきました。
磁器が登場する前は最大の生産地であった瀬戸焼も19世紀初頭、加藤民吉によって有田の染付磁器の製法が伝わり、磁器生産が主流になりました。また、石川県の九谷地方は磁器生産を再興させ、九谷五彩と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青の5色の絵具を使った磁器を生産。また、有田焼はドイツのマイセン窯など、ヨーロッパにも大きな影響を与えています。

古九谷と再興九谷有田焼のお皿

九谷では17世紀に磁器を生産していたといわれていましたが、そのほとんどが実は有田焼であったとされています。しかし、少数ながら九谷でも生産されていたらしいという説は根強く、真相はまだ謎のままです。今でも古窯の発掘などが進められています。17世紀に作られた九谷様式の皿は古九谷、19世紀以降の九谷焼は再興九谷と呼ばれています。”